学習・行動中の海馬神経回路ダイナミクスの二光子イメージング
海馬(かいば)とよばれる脳部位は、場所や出来事の記憶の形成に中心的な役割を果たしています。その機能は従来から電極を脳に刺入して神経細胞の発する電気的信号を記録する手法で盛んに研究されてきましたが、顕微鏡により生きた脳の中の細胞一個一個の活動を画像化して研究する手法は、種々の技術的困難から他の脳部位に比べてあまり進んでいませんでした。そこで分子神経科学の技術とin vivoイメージングの専門性とを融合して、学習や行動が引き起こす海馬の神経回路のダイナミックな活動を二光子レーザー顕微鏡を用いたイメージングで明らかにする研究を行っています。
マウス用バーチャルリアリティ行動課題(Sato et al., eNeuro, 2017; 理研プレスリリースYouTube動画より)
Hippocampus, Volume 31, Issue 3 (2021), Cover Image
(1)海馬認知地図の形成と可塑性のメカニズム
海馬の神経細胞は、動物が環境内のある特定の場所を通過するときにだけ活動する「場所細胞(place cell)」と呼ばれる性質をもつことが知られています。しかし、報酬や場所手かがりなどの環境の目立った特徴が、このような場所細胞の集まりによって構成される、いわば脳内のGPSシステムとしての「認知地図」に、どのようにマッピングされているかはよくわかっていません。
我々は、空間学習に伴う海馬の認知地図の形成過程を細胞レベルで可視化するために、(1)蛍光カルシウムセンサータンパク質を脳に発現するトランスジェニックマウス (Sato et al., PLoS One, 2015)(2)皮質下の海馬in vivoイメージング手技 (Sato et al., PLoS One, 2015)(3)マウス用バーチャルリアリティシステム (Sato et al., eNeuro, 2017)(4)イメージング画像からの自動細胞検出プログラム (Takekawa et al., biorxiv, 2017)、などの基盤技術を確立しました。これらの技術を総合的に用いることで、二光子レーザー顕微鏡下に頭部固定したマウスがバーチャルリアリティ環境において繰り返し空間行動を行ったときに、海馬の場所細胞地図がどのように形成され、また報酬の得られる場所の操作などによってどのように再編成されるかを、単一細胞のレベルで詳細に調べました(Sato et al., Cell Reports, 2020; Mizuta et al., Hippocampus, 2021)。また、海馬におけるモノアミン系神経調節の役割を検討し、セロトニン神経系が海馬において報酬と歩行運動のシグナルに関与していることを明らかにしました(Luchetti et al., J. Neurosci., 2020)。
(2)発達障害のイメージング研究
マウスを用いた神経回路機能の基礎研究をヒトの発達障害の理解へとつなげるために、先端的なイメージングとバーチャルリアリティシステムを用いて発達障害モデルマウスの脳機能の異常を明らかにする研究を進めています。発達障害に関しては、これまで、アンジェルマン症候群モデルマウスであるUbe3a母性欠損マウスにおける皮質回路成熟の異常(Sato et al., PNAS, 2010)、ユビキチンリガーゼ遺伝子Ube3aとアンジェルマン症候群の進化的起源に関する考察(Sato, Front. Cell. Neurosci., 2017)、自閉スペクトラム症モデルマウスであるShank2欠損マウスのバーチャル空間における学習異常(Sato et al., eNeuro, 2017)と海馬の認知地図異常(Sato et al., Cell Reports, 2020)、およびイメージングで明らかにされた発達障害モデルマウスの回路機能異常に関する考察(Nakai et al., Front. Neurosci., 2018)などを報告しています。
(3)生得的行動に関わる脳活動のイメージング
学習と記憶は脳の本質的かつ興味深い機能ですが、それ自体は動物個体のより適応的な行動選択を可能にする脳のサブシステムの一つにすぎません。そこで、歩行による行動状態遷移や社会行動など動物の生得的行動を研究するための新規バーチャルリアリティ行動課題の開発と、広視野カルシウムイメージングやヘッドマウント型蛍光内視顕微鏡を用いた海馬以外の脳領域からのイメージング(Miura et al., PLOS Biol., 2020; Miura et al., Neurol. Med. Chir., 2020)を進めています。
(4)新規イメージング技術の開発ー見えないものを見る
行動中の脳活動を、より深く、より広く、より細部まで、より再現性良くイメージングすることを目指して、種々の基盤技術の開発を行っています。これまで、テトラサイクリン応答因子下に高反応性蛍光カルシウムセンサータンパク質G-CaMP7を発現するトランスジェニックマウス(Sato et al., PLoS One, 2015)、ウインドウ埋め込みによるマウス線条体神経回路のイメージング手法(Sato et al., Neurobiol. Learn Mem., 2016)、頭部固定下のバーチャルリアリティ環境におけるマウス用行動課題(Sato et al., eNeuro, 2017)、高速可変焦点機能をもつ内視鏡による深部脳イメージング(Sato et al., Biomed. Opt. Express, 2017)、収差の少ない新規非球面蛍光内視鏡レンズプローブ(Sato et al., BBRC, 2020)などを開発しています。また脳だけでなく全身の神経系の活動をイメージングすることを目指して、腸管神経系のin vivoカルシウムイメージング(Motegi et al., Neurosci. Res., 2019)などの開発も報告しています。